1階 第2展示室

 神戸のスラム街へ移住してから5年後、救済活動に限界を感じた賀川は、再勉強のためアメリカのプリンストン神学校・大学へ留学します。2年9ヵ月の留学を経て帰国した後は労働運動、普通選挙運動、農民運動と、様々な運動を展開し関東大震災ではいち早く被災地へ駆けつけました。また消費者のための生活協同組合運動に取り組み、大成させます。

 

 第2次世界大戦後は、戦争のない世界平和を求めて世界連邦国家建設運動、核兵器廃絶、憲法擁護運動を行い、ノーベル平和賞候補に4度推薦されました。第2展示室では、賀川の生涯の軌跡と、教育活動、著作活動、生涯の伴侶であるハル夫人などを中心に紹介しています。